記憶と記録
出産を控えている友人から、『ショージさんとこって子供生まれた時にビデオカメラ買った?』って聞かれた。
そう言えば、子供が生まれる数ヶ月前に、ビデオカメラどうするっなんて話しをカミさんと散々したなぁ。
どうせ買うんなら出産前がいいだろう、なんて。
いろんな人に意見を聞いたけど、最近じゃ運動会なんかの時も『ビデオカメラ席』みたいのが用意されてたりして、殆どの親御さんが当然のようにビデオカメラ持ってるって・・・。
きょうび買うのはあ・た・り・ま・えって・・・。
でも単純に買っちゃうことに何かが引っ掛る自分が居たりして。
ビデオで録画した映像見るのって確かに楽しいし、子供にも小さいときの可愛らしい仕草なんかを余す所なく見せてあげたかったりもするけど、映像って流れてる間は、じ~っと画面に釘付けで終わるまで終始無言だったりするでしょ。
私はどうもあの空気が苦手。
その点、写真なんかで残ってたりすると、『この時はどうだった・・・』とか『あの時はこうだった・・・』とか。
昔の写真って不思議なモンで、その写真を囲んでいる人皆から、自然と会話が弾み、笑顔がこぼれてくる。
なんのごまかしもない映像はすべてを正直すぎるほどに映し出す。
少しは過去を美化して記憶しててもいいんじゃない?とも思うし、正確な記録は記憶力や想像力の低下すらおこすような気もする。
って事で鈴木家の家族会議では、『ビデオカメラを買わない決議案』が可決。
世の中、便利になりすぎて失ってるものが多すぎる。
そう思いません?