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募金とかボランティアとか

募金とかボランティアとか アイチャッチ

三陸沖の地震から6年半。
当時は書けなかった、というか書きにくかった・・・。

未曽有の大震災を受け、我々にできることはなんでもしよう、となり、まずは募金した。
その後、建築のプロとして現地で役立つこともあるだろうと、休みを利用して皆で度々ボランティアにも出掛けた。

最初のボランティアは確か5月だったように記憶している。
現地は震災当時のままで、手つかずの状態。
そこには思い出すのも辛くなるような光景が広がっていた。
現地の片づけや家族調査をする我々の隣では、自衛隊による行方不明者の捜索が行われていた。
大漁に流されたサンマの腐敗臭があたり一面に広がり、鼻を覆いながらの作業がとにかく辛い。
我々は遠野に置かれたボランティアセンターを拠点に活動していたのだが、そこには全国からたくさんのボランティアが集まり、朝から晩まで汗を流した。

休みを利用してのボランティア活動には限界がある。
そこで、月に一回ほど通うことにした。
2回、3回、4回・・。
何回か通った時、あることが気になりかけた。
それは、遠野を訪れるたび、顔見知りの「常連」が増えていくのだ。
そんな彼らは、ボランティアセンターに定住し、そして地位を築いていく。班長だったりリーダーだったり・・。
そして我々は、彼らの指示に従い現地で活動するわけだ。

回数も5回を超えたころ、再生には程遠いが、現地はずいぶんと綺麗になっていた。
解体作業や家屋調査、ゴミ拾いなどの仕事はほとんどない。
「常連」からは、「今日は仕事がないから草でもむしっててください」と指示が出る。
ある時は、「今日は地域のお祭りに参加して屋台でお金を使ってください。これもボランティアの一環です」なんて日もあった。
その頃のボランティア活動といえば、「常連の仕事を作るための」、ボランティア活動になっていたのだ。

「常連」の何人かから話を聞いたことがあるが、彼らは定職を持たず、被災地を転々として募金から報酬を得ながら生計を立てているようだった。
食事は救援物資だからタダ、宿はボランティアの活動拠点になっている体育館だったりするからこれもタダ。

そこには、私のイメージするボランティアとはずいぶん違う世界が存在した。
有償ボランティアの存在をすべて否定するつもりはないが、なんだか違和感を感じ、その後ボランティア活動に参加しなくなった。
先日も、24時間テレビの出演者に高額なギャランティーが発生していることが問題視されていたが、似通った問題のように思う。

あまり大きな声では言えないが、建築の業界にも、「震災時、仮設住宅をどうやって受注するか」みたいなことをやってる団体があると聞く。
そして、こうしたスキームには必ずと言っていいほど、「補助金」が絡んでいる。

個人も法人もそうだが、こうした震災や補助金で、潤わないでほしい。
せめて、震災関連の受注をしたり、なんらかの補助金もらったりした年に出た利益は、全額償還させるくらいの仕組みにすべきではなかろうか。

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